防犯ブログ
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2006年10月20日
少年犯罪報道に対して
2005年2月14日大阪府寝屋川市立中央小で卒業生で当時17歳の無職少年により、教職員3人が包丁で刺され、教諭(当時52歳)が死亡、女性2人が重傷を負った事件の判決がでました。
「小学校時代に同級生からいじめを受けた際に担任教諭らが止めてくれなかったと逆恨みした末の犯行」であった点が注目されていました。
奈良県での母妹が放火により死亡した事件もそうですが、「広汎性発達障害」と診断された少年の処遇
に関して、「発達障害」が事件を起こしたと取られかねない報道が一部見受けられることに不安を覚えます。
「発達障害」だから犯罪を起こしたのでは決してないことをぜひ多くの方に知っていただきたいと思います。こういった報道で誤解されて、差別されたり阻害されたりということがないことを強く望みます。
「発達障害」とは、人間の初期の発達過程が何らかの原因によって阻害され、認知、言語、社会性、運動などの機能の獲得が障害された状態を呼びます。基本的には脳の機能的な問題が原因で起こるもので、知的障害、広汎性発達障害(自閉症)、高機能広汎性発達障害(アスペルガー症候群・高機能自閉症)、注意欠陥多動性障害(AD/HD)、学習障害(LD)などがあります。(Yahoo!ヘルスケア 家庭の医学より抜粋)
犯罪は環境と機会により作られます。生まれながらにして犯罪者はいません。
例えば犯罪が多発しているスラム街が世界中にありますが、スラム街に生まれたから犯罪を犯すのでは決してありません。極度の貧困で食べるものさえままならない、教育はおろか家庭でのしつけも受ける機会がすくない環境、日常目にする薬物販売や売春、窃盗・・・そういった環境の中で、なんらかのマイナスの偶然要素が重なり、不幸にもその中の何人かが犯罪に手を染めてしまうのです。
全て「○○だから・・」というのはありえないと思います。
又、人は加害者の人格や境遇に原因を求める「犯罪原因論」に陥りやすいですがそれでは犯罪を無くすことはできません。
「発達障害」は早くにそれに両親や周囲の人が気付き、得意な面、不得手な面を把握した上で不得意な面に対してその子供に合った言い方で教えてあげる。手助けをしてあげるということが必要です。
言い方を変えるだけで理解度は大きく変わるそうです。周囲があたたかく見守る。理解してあげる。そうしたことで子供も疎外感を感じず、まっすぐに優しい心のまま育つことができます。又、得意な面を伸ばしてあげることで自分自身を肯定することができます。
うまく表現できませんが、遠視や乱視だとそれに合っためがねをかければ日常生活に支障なく読み書きができる・・というのと同じことではないかと思うのです。
「発達障害」であるなしにかかわらず、生き物の命は大切であること、人にはいろいろな考え方・生き方があること、人の気持ちを大切にすること、他人に迷惑をかけないことなどは家庭や学校で教えていくことが必要です。その教え方にその子供に対する愛情がなければなりません。
奈良の事件のように、医者になるという目標のために幼少の頃から遊ぶことを排除され勉強に縛られ、成績が良くないと暴力も一部ふるわれ・・・といった環境であれば、どんな子供でも心に病を持ってしまうのではないかと思います。いつも自分が否定されると居場所がなくなってしまい、自分を苦しめているものから逃れたくなるのです。
「人と少し違う」というのも個性だと思います。
人は誰にも理解されない・・ということが心を閉ざし、疎外感を生み、外部のものをどんどん拒絶し・・となってしまうのではないでしょうか?
「他人に暖かい社会」「子供やお年寄り、障害を持った人など弱者に優しい社会」・・その実現こそが犯罪を減らすための処方だと思います。